紺ちゃんとトモキ〜1年ごとに…。

昨日に引き続きお送りします。
2002年の夏は代々木ハロコン娘。コン@長野という流れ。代々木では自力でアリーナ5列を引いて、かなりテンパって参戦していたような。誰それ構わずガッツいてたりもしましたが(笑)、紺ちゃんとの思い出と言えば、春に引き続いて「恋レボ」を一緒に踊ったりしていました。で、長野では再び1桁列が来たものの、この時は端過ぎてステージの一部分が見えなかったりして、直接的な交流は無かったりします。
この長野でのコンサート後、トモキは現場休養宣言。その理由が、奇しくも「大学受験に備える為」と言うのが何とも…。当時、高2だった自分は受験が終わるまではコンサートに行かないで頑張ろうと決めていました。最も、自分は現場に行かないってだけでメディアを通じて応援等はできたワケで、今回の紺ちゃんの「大学受験の為に卒業」とは次元が違いますが…そんなワケでしばらくはコンサートには行かず。
しかし1年後の2003年夏。高3になったトモキですが、長野で娘。コンがあるというコトで1回だけコンサートへ。この年唯一の現場でした。その時には既に6期メンバーも加入していたワケですが、そこでトモキが観たのは…明らかに「自信を持って」ステージに立っている紺ちゃんの姿でした。
5期メンバーは2001年の秋のツアーからステージに立っていましたが、ご存知の通り紺ちゃんは足のケガでステージに立つのが遅れていました。フルでツアーを周り始めたのが2002年になってからというコトで、自分が2002年に観た時の紺ちゃんの姿というのは、まだ「自分のやれることを必死にやろう」という感じで、ステージを楽しむ余裕などはないように見えました*1
ところが、この時観た紺ちゃんはステージ上で笑顔が溢れていました。まだまだ、イイ意味での必死さもありましたが、表情に余裕が出てきていましたし、自分が「先輩」になったコトでの自覚もあったのかもしれません。そんな紺ちゃんの成長を見るのが楽しくて、嬉しくて仕方なかった*2のがこの頃かな…それは今にも通じているんですケドね。
そして、2004年になって晴れて現場に行けるようになる…はずが、浪人してしまいまして(苦笑)。「大学受験の為の現場自粛」はこの年も続きました。なので、春も夏もメディアを通しての応援が続いていました。そして2004年秋。丁度、紺ちゃんが初のソロ写真集や「涙が止まらない放課後」で推されていた時期。モーニング娘。のコンサートが松本で行なわれるというコトで、1年ぶりにコンサートへ行こう、と。
その松本ではまた色々な思い出があったワケですが…それは次回。紺ちゃん卒業まで11日です…。

*1:昨日書いた通り、その中での一生懸命さに「頑張れっ!」と思って観ていた自分がいたワケですケド。

*2:メディア中心ではありましたが。